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上高地は、もともと人が簡単に入れない「神々が宿る特別な場所」でした。それが江戸時代の木材の伐採地を経て、明治から昭和にかけて日本屈指の「山岳リゾート」へと生まれ変わっていった歴史があります。 [1] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/)上高地の歴史を、4つの大きな時代に分けて分かりやすくご紹介します。
神の領域から「山の仕事場」へ(古代〜江戸時代)「神垣内(かみこうち)」の始まり古代、ふもとの人々は穂高岳を神様が降り立つ聖なる山として崇拝し、この地を「神垣内」と呼びました。これが現在の上高地の名前の由来です。 [1] (http://panoramahida.iza-yoi.net/kamikouchirekishi.html)江戸時代の木こりたち江戸時代になると、松本藩(現在の長野県松本市周辺)が建築に使う木を切るため、上高地を管理するようになりました。当時は観光地ではなく、木こりや猟師、温泉を利用する役人だけが、険しい山道を歩いて入る「山の仕事場」でした。 [1] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/), [2] (http://panoramahida.iza-yoi.net/kamikouchirekishi.html)
近代登山の誕生と「上高地の主」(明治時代)ウェストンと上條嘉門次(かもんじ)の出会い明治時代、イギリス人牧師のウォルター・ウェストンが上高地を訪れ、猟師の上條嘉門次を案内人に迎えて北アルプスの山々に登りました。 [1] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/)「日本アルプス」が世界へウェストンが著書で上高地や嘉門次のことを紹介したことで、それまで「信仰」や「仕事」のためだった日本の登山に、「スポーツや楽しむための登山(近代登山)」という新しい文化が生まれました。 [1] (https://www.kamikochi.or.jp/learn/about/), [2] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/)かつては牧場もあった明治後半からは、現在の徳沢地区を中心に「上高地牧場」が開かれ、約400頭もの牛や馬が放牧されていました。
大正池の誕生とリゾートへの発展(大正〜昭和初期)大正池が突然現れる1915年(大正4年)、隣の焼岳が大噴火を起こしました。流れた泥や砂が梓川をせき止めたことで、一夜にして「大正池」が誕生しました。憧れの山岳リゾートへ1927(昭和2)年に「日本新八景」の渓谷の部で1位に選ばれ、一躍全国に知られるようになります。1933(昭和8)年には政府の誘致で上高地帝国ホテルがオープンし、バスが通る車道(現在の釜トンネルの原型)も開通して、誰もが訪れられる憧れのリゾート地になりました。
自然を守るための戦い(昭和後半〜現代)日本初のマイカー規制車が通れるようになって観光客が急増した反面、車の排気ガスによる環境汚染や大渋滞が問題になりました。そこで上高地では、自然を守るために1975(昭和50)年からマイカー規制を開始しました。これは日本の観光地における環境保護活動の先駆けとなっています。国が認めた最高の自然宝庫上高地は、国の「特別名勝」と「特別天然記念物」という2つの貴重な称号をダブルで指定されている、日本でも数少ない極めて大切な自然エリアです。 [1] (https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3768.html)