①殻斗(かくと)通称:「ぼうし」「おわん」「パンツ」役目:どんぐりがまだ赤ちゃん(未熟)のときに、虫や乾燥から実を守るベッドのような役目をしています。特徴:もじゃもじゃ、しましま、うろこ模様など、種類によって形がちがいます。
② 果皮(かひ)通称:「外側の殻(から)」役目:中のタネを守るための、とてもかたくてツルツルした皮です。特徴:木の実が熟すと茶色くなります。どんぐりは植物の分類で「堅果(けんか)」と呼ばれ、文字通りかたい皮におおわれています。
③ 種皮(しゅひ)通称:「渋皮(しぶかわ)」役目:果皮をむいたとき、中身のまわりにピタッと貼りついている茶色くて薄い皮です。特徴:栗をむいたときに出てくる渋皮と同じものです。
④ 胚(はい)通称:「中身」「種(たね)」役目:どんぐりの本体で、次の命になる一番大切な部分です。中身のひみつ:子葉(しよう):中身のほとんどは、次の春に芽を出すための「栄養(デンプンなど)」が詰まった塊です。幼芽(ようが)・幼根(ようこん):お尻の尖った部分の近くに、将来「芽」や「根っこ」になる小さな赤ちゃんが隠れています。
💡 どんぐりの上下のなぞ尖っているほう(先端):ここから「芽」と「根っこ」がでます。平らなほう(お尻):ここを「へそ」と呼びます。ぼうしとくっついて、木から栄養をもらっていたお口のような場所です。どんぐりの部位の仕組みがわかると、どうやって芽が出るのかも気になりませんか?どんぐりの発芽のひみつについて、続けてお話ししましょうか?
シイ属
スダジイ(すだ椎):しいのき(椎の木)の代表。実はアクがなくて、炒めて食べると栗のように甘いです。
ツブラジイ(円椎):スダジイよりさらに小さな丸い実がなります。
つるつる・バナナグループ(マテバシイ、スダジイなど)帽子がうろこやしま模様になっておらず、つるっとしていたり、変わった形をしていたりします。
マテバシイ: 大きくて細長く、お尻がくぼんでいるのが特徴。帽子は浅く、うろこが平らにつぶれたようになっています。工作によく使われます。スダジイ: 帽子が皮をむいたバナナのように3つに裂けて、中から黒っぽい実が顔を出します。この実は煎って食べると甘みがあります。
しましまグループ(シラカシ、アラカシなど)帽子の模様が、バウムクーヘンのように横に何重もの線(しま模様)になっているグループです。
シラカシ: 実は小さくて丸っこく、帽子のしましまがはっきりしています。アラカシ: 実の先端のほうに縦の細い筋(しま模様)が見えるのが特徴です。ウラジロガシ: 実が少し細長いです。葉っぱの裏側が白っぽいのが特徴です。
うろこグループ(コナラ、ミズナラなど)帽子の表面が魚のうろこや、小さなタイルのようにブツブツ・ボコボコしているグループです。
コナラ: もっともよく見かけるどんぐり。細長くてスマートな形をしています。ミズナラ: コナラによく似ていますが、実がひと回り大きくてふっくらしています。ウバメガシ: 実は小さめの楕円形。帽子が実を深く包み込んでいます。
もじゃもじゃグループ(クヌギなど)帽子が細いリボンのようなもので覆われていて、もじゃもじゃ、トゲトゲしているのが特徴です。
クヌギ: まん丸で大きなどんぐり。野球のボールを小さくしたような形です。カシワ: どんぐり全体がもじゃもじゃの帽子に深く包まれています。葉っぱがとても大きいです。
どんぐりの種類を見分けるときは、実の形だけでなく、「殻斗(かくと)」と呼ばれる帽子の模様を見るのが一番わかりやすくて確実な方法です。
帽子(殻斗)の模様は、大きく分けると4つのグループに分類できます。
子育て世代に大人気保育園や公園が多く、平らな道も多いため、小さな子どもがいるファミリー層がたくさん暮らしています。慶應義塾大学のキャンパス(日吉)などもあり、学生の街としての一面もあります。
お買い物やお出かけスポットが充実大きな家具屋さんの「IKEA(イケア)港北」や、たくさんのショップが入った「ららぽーと横浜」(お隣の都筑区との境目)などがあり、家族でのお買い物に困りません。
自然を守るための戦い(昭和後半〜現代)日本初のマイカー規制車が通れるようになって観光客が急増した反面、車の排気ガスによる環境汚染や大渋滞が問題になりました。そこで上高地では、自然を守るために1975(昭和50)年からマイカー規制を開始しました。これは日本の観光地における環境保護活動の先駆けとなっています。国が認めた最高の自然宝庫上高地は、国の「特別名勝」と「特別天然記念物」という2つの貴重な称号をダブルで指定されている、日本でも数少ない極めて大切な自然エリアです。 [1] (https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3768.html)
大正池の誕生とリゾートへの発展(大正〜昭和初期)大正池が突然現れる1915年(大正4年)、隣の焼岳が大噴火を起こしました。流れた泥や砂が梓川をせき止めたことで、一夜にして「大正池」が誕生しました。憧れの山岳リゾートへ1927(昭和2)年に「日本新八景」の渓谷の部で1位に選ばれ、一躍全国に知られるようになります。1933(昭和8)年には政府の誘致で上高地帝国ホテルがオープンし、バスが通る車道(現在の釜トンネルの原型)も開通して、誰もが訪れられる憧れのリゾート地になりました。
近代登山の誕生と「上高地の主」(明治時代)ウェストンと上條嘉門次(かもんじ)の出会い明治時代、イギリス人牧師のウォルター・ウェストンが上高地を訪れ、猟師の上條嘉門次を案内人に迎えて北アルプスの山々に登りました。 [1] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/)「日本アルプス」が世界へウェストンが著書で上高地や嘉門次のことを紹介したことで、それまで「信仰」や「仕事」のためだった日本の登山に、「スポーツや楽しむための登山(近代登山)」という新しい文化が生まれました。 [1] (https://www.kamikochi.or.jp/learn/about/), [2] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/)かつては牧場もあった明治後半からは、現在の徳沢地区を中心に「上高地牧場」が開かれ、約400頭もの牛や馬が放牧されていました。
神の領域から「山の仕事場」へ(古代〜江戸時代)「神垣内(かみこうち)」の始まり古代、ふもとの人々は穂高岳を神様が降り立つ聖なる山として崇拝し、この地を「神垣内」と呼びました。これが現在の上高地の名前の由来です。 [1] (http://panoramahida.iza-yoi.net/kamikouchirekishi.html)江戸時代の木こりたち江戸時代になると、松本藩(現在の長野県松本市周辺)が建築に使う木を切るため、上高地を管理するようになりました。当時は観光地ではなく、木こりや猟師、温泉を利用する役人だけが、険しい山道を歩いて入る「山の仕事場」でした。 [1] (https://www.gosenjaku.co.jp/2026/06/28/31754/), [2] (http://panoramahida.iza-yoi.net/kamikouchirekishi.html)
上高地のシンボルである河童橋(かっぱばし)は、梓川(あずさがわ)に架かる全長36.6メートルの木製の吊り橋です [1]。上高地を訪れた人が必ずと言っていいほど立ち寄る、一番の人気スポットです。